人とのつながりからやりたいことを見つける人。

やりたいことって、好奇心、使命感からでてくるみたいなことを先日書いたけど、
あとは人との繋がりから見つかる場合もあるみたいだね。
これはどっちかというと使命感につながると思うんだけど、
自分の行為が、人から褒められ、必要とされる場合が該当する。
この場合、自分一人で黙々とやって、誰にも見られなかったら
まず、まず発見できないよね。
まず、自分以外の他者に自分の行為を見てもらう必要があるわけだしね。
やりたいこと=仕事になるっていうのはこういうことだと思う。
自分は利益は特に考えてないけど、やってみたら、周りの人は
お金を出してでも自分の行為を続けてほしい。
これが成立して初めて仕事が成り立つ気がする。
逆の発想で言えば、お金をもらうためには、相手がお金を払って貰うような「何か」を提供すればいい。
その「何か」は肉体労働、技術、なんでもいい。
とにかく相手がお金を払ってでも、受けたいサービスを提供すればいいわけだ。

ここで重要なのは、
yle="font-size:x-large;">お金は得るには、自分のやりがいは関係ない。

お金を得るにはとにかく、相手がお金を払ってくれるようなサービスを提供すればいいわけであって、
自分のやりがいは関係ない。

おそらく大体の人がこういう状況なんだろなぁ。
そりゃそうだよね。
生きていくためにお金が必要なわけだから、
そんな悠長にやりたいことを優先していたら、
お金稼げる保証はないわけだしね。

世の中で楽しく働いている人は

やりたいこと=人から必要とされている

これがマッチしているんだろうなぁ。

あと、別に自分のやりたことじゃなくても、やってみたら
思いのほか、人から褒められ、必要とされていることがわかり、
実はこれがやりたいことだったんだと発見するケース。
これは一番最初に書いた、人との繋がりから発見するタイプだよね。

でもよくよく考えるとこれもどーなのかな。
だってこれって人の判断、評価に依存しているわけであって、
すごく脆い気がする。
もし自分より、技術のある人が現れて、その人の方が必要とされていたら、
自分の存在価値ってなくなるよね。
もともとやりたいことをやってる人なら、人の評価はそれほど気にならないだろうけど、
評価されて初めて好きになるっていうのは、
他人が自分の行動を決めてしまっている気がする。

かといっていくら自分のやりたいことをやっていても、
人から評価されないっていうのは虚しい。
ここが人間の厄介な所なんだよなぁ。
一言でいうと人間ってわがままwww

でも安定する生き方は、人の評価に依存することなく、
自分のやりたいことをやることなんだろうなぁ。
しかもやりたいことが一つだけじゃなくて、
複数あればなお強い。
やりたいことが一つだと、それにまた依存してしまうわけで、
それを失うと多分何もやる気にならないだろうし。
これが燃え尽き症候群なのかもね。

書いてみて分かったけど、
依存っていうのは一つのキーワードになりそうだね。
執着ともいうのかな。

仏教はきっとそうゆうものを全てなくすのが目的なのかな。
最初から何もなければ、苦しみも生まれない。

でも自分はそんなお釈迦様のような生活は無理だなぁ。

大事なことは自分に合った生き方を見つけることだと思う。

自分がどの程度やりたいこをやって、
なおかつ人から評価されたいのか

このバランスを知ることが人生を楽しむ上で重要だと思う。